「文学史を読みかえる」研究会

作品の共読を通じて、自由なディスカッションをおこなう研究会です。

島田龍報告「記憶と虚構の文学 2人の台湾系直木賞作家 (1)邱永漢、亡命作家から金儲けの神様へ」【例会報告と次回のお知らせ】

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2020年7月、関西にて「文学史を読みかえる」研究会の例会が行われました。

報告者は島田龍さんで、邱永漢「濁水渓」(1954)と陳舜臣「怒りの菩薩」(1962)をテクストに、「記憶と虚構の文学 2人の台湾系直木賞作家 (1)邱永漢、亡命作家から金儲けの神様へ」と題して邱永漢についての綿密な報告が行われました。2・28事件や民族アイデンティティを巡る考察に議論も白熱、充実した例会になりました。なお、もう一人の台湾系直木賞作家・陳舜臣については次回以降に報告予定とのことで、こちらも楽しみです。

今回の報告と討論の要旨は以下の通り。

 

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「記憶と虚構の文学 2人の台湾系直木賞作家 (1)邱永漢、亡命作家から金儲けの神様へ」と題し、邱永漢の小説「濁水渓」(1954)、「香港」(1955)をテクストに読み進めた。具体的には、日本統治下の台湾に育ち、台湾・香港・日本を日本語で書いた邱永漢とは何者かを、2・28事件(1947)と台湾人アイデンティティ文学賞の問題から考えてみた。

台南で1924年に生まれた邱永漢は東京帝大経済学部に進学後、日本の敗戦を経て帰台。47年に国民党政権が台湾人を虐殺した2・28事件を体験し、台湾独立運動に携わるも香港へ亡命した。54年の再来日を前に執筆開始、「濁水渓」が直木賞候補作、外国籍として初めて直木賞を「香港」で受賞したのが56年である。

「濁水渓」の主人公「私」は日本国籍を持つ台湾出身の東大生。日本の敗戦後、日本でも中国でもない民族と国境のない地に住みたいと願う「私」と、日本人の母と台湾人の父を持つ民族主義者劉徳明の物語である。ともに2・28事件に遭遇、台湾に留まり台湾人として殉じようとする劉と、海外へ逃れ「永遠に地球をさまようユダヤ人」のように「金銭の鬼」となることを望む「私」は訣別する。劉は邱が選ばなかったもう1つの生き方であり、引き裂かれた自己像を2人に仮託している。台湾人の記憶と意識の文学であった「濁水渓」は、単行本化に際し檀一雄が削除を促し、削除された第3部(香港篇)が存在する。

第3部の「私」は強烈な台湾人意識を取り戻し、第2の2・28事件ともいうべき台湾独立のためゲリラ戦から再出発する意志を固め締め括られる。民族も国家もない世界を望んだ第2部の決意が転換、外部から台湾の独立に再びコミットしようとの戦いの決意によってそれまでの作品の主題が混乱した点は否めない。

「濁水渓」の続き物として従来理解されてきた「香港」は、刹那的に生きる主人公の人物像が異なる。金こそが人間が生きていくための積極的な自由を担保することを知る。何をするのか、何のために生きていくかはその先にあるもので、自由とは厄介で孤独で残酷なものとして描かれる。「濁水渓」第2部までの主題とも第3部の変容とも異なり、食い詰めた若者たちの野心小説としての特長がある。自由の問題にこだわることが大衆文学として相応しいのか、フィクショナルなロマン性に乏しいとの審査員の指摘がありながら、「濁水渓」第3部の政治色を脱色改変した「香港」は念願の直木賞受賞を果たした。

一方で「濁水渓」から台湾人のアイデンティティ問題を後退させた「香港」が文壇で認められた背景には、和泉司が指摘したように、台湾問題から目をそらし帝国日本と台湾の記憶を忘却する日本社会の状況があったと考える。

自身や周囲の異常な体験を文学的貯金として費やすことで紡いだ邱の小説は、それだけでは審査員たちが懸念したように読者のニーズに応え続けるには限界があった。また小説以外にも台湾問題を日本人に訴えた邱の声は広く届くことはなかった。台湾人のアイデンティティの動揺を日本で日本人に向け日本語で書かざるを得なかった邱の文学は早々に行き詰まりをみせた。

50年代末以降、『金銭読本』を始めとする家庭向け経済評論、株・税制・不動産投資などいわゆる「金儲けの神様」と呼ばれる活動に移行する。この移行は確かに、文学的貯金を使い果たした創作上の限界と日本社会の記憶の忘却が背景にあったとはいえる。同時に金銭欲や食欲といった人間の欲望に応えた自己プロデュースであるとともに、単なるハウツウではなく国家・民族・血といった虚構を越境するために手にした確かな虚構であったように思う。

討論では、サブテクストの陳舜臣『怒りの菩薩』(1962)との比較も行った。「金儲けの神様」にシフトした邱に代わって60年代初めに登場した陳は2人目の台湾系直木賞作家となった。ともに同じ年に生まれた学歴エリートであり、現地で2・28事件を経験するなど共通点も多いが作家性は異なる。近年の2人の日台での受容・翻訳・研究状況を概観しながら、議論は各人の作家・作品観、アジアの問題意識と多岐に渡った。

後年、「台湾生まれのアジア人」として自己認識した邱は、日本人でもない中国人でもない台湾人であること、さらにその先の帰属することなき漂泊者であることを受け入れた。それは文学的・政治的挫折であろうか。ポスト植民地主義の亡命作家が選びとった〈自由〉ではなかったか。今後も邱の作品が忘れられるのではなく、積極的に読みかえられることを期待したい。

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削除された「濁水渓」第三部についての評価、また作家にとっての「文学賞」の重み、など討論での論点は多岐にわたりましたが、

いまだに流布され続けている「日本の植民地支配のなかでは台湾が一番“マシ”だったから、台湾では今でも“親日”的なのだ」という神話がまったくのでたらめであることは、2・28事件を題材とした邱永漢陳舜臣を読めば一目瞭然であり、日本語では50年代から小説に描かれていたのにもかかわらず、私たちの共通の認識にならなかったこと自体が問題の根深さをあらわしているのだ、という痛切な指摘は特に印象に残りました。

また、50年代以降の邱永漢が執拗に描いた金銭欲や食欲といった人間の「欲望」という主題は、国家や民族という虚構を越境するために邱永漢が手にした「虚構」であり、かれが辿り着いた文学的地平であるということが今回の報告で示されたのだが、だとすればそのような「金儲けの神様」としての実像や「欲望」の内実をこそ批評し問いなおす必要があるだろう、といった今後のさらなる発展を期待する指摘もありました。提起された課題は近い将来、島田さんの手によって果たされるでしょう。

 

【次回の研究会について】

次回は、『文学史を読みかえる・論集』第三号の合評会を予定しています。何事もなければ2020年9月に開催予定ですが、例会の詳細は現会員に直接問い合わせください。

近日刊行される『論集』第三号についてもこのブログでお知らせするつもりです。よろしくお願いします。