「文学史を読みかえる」研究会

作品の共読を通じて、自由なディスカッションをおこなう研究会です。

次回例会のお知らせ(時間変更)

先日の投稿にて次回研究会の告知をしましたが、会場閉館時間の関係で、例会の開始時間を一時間早めることになりました。ご了承ください。

 

◆  日時:11月22日(日)12:00-17:00

*次回は日曜日の正午から開始します。ご注意ください。

◆  報告者: 黒田大河さん

◆  テキスト:永山則夫木橋』(立風書房1984年、河出文庫2014年)『捨て子ごっこ』(河出書房 1987年)

 

 

なお、前回もお知らせした通り、ブログのコメント欄を解放することになりました。

文学史を読みかえる研究会は、関心分野を問わず、歴史や現実、そして虚構に思いを寄せるかたがたの参加を、こころより希っています。興味のある方はどうかお気軽にお声がけください。詳細をお伝えします。

会員でない方や初めての方、あるいは旧会員の方々も遠慮なくコメント欄から書き込んでいただければ幸いです。

 

書評 『横光利一とその時代―モダニズム・メディア・戦争』(黒田大河・著、二〇一七年、和泉書院)

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引き続き、読みかえ研会員の本の紹介を。黒田大河さん初の単著『横光利一とその時代―モダニズム・メディア・戦争』(和泉書院)についての、田村都さんによる渾身の書評をここに掲載いたします。横光文学に粘り強く取り組んでこられた黒田さんの著作に対する、力のこもった批評となっています。田村さんの書評をお読みになった方は、ぜひ『横光利一とその時代』を手に取って読んでみてください。

この書評は文学史を読みかえる・論集』第3号に収録されたものですが、表題と本文の一部に変更・修正がほどこされています。

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この国の“虚無”にする供物のために  田村 都

書評 『横光利一とその時代―モダニズム・メディア・戦争』(黒田大河著)

 

 

 1993年から2012年までに発表された第1章から第14章までの各論に、2017年刊行当時の書き下ろしの序論を付して一書にまとめられた本作は、著者の、単著としては初めての一冊である。当然その主題は、著者が研究者としての道を志すに至った原点でありライフワークでもある横光利一の、字面を追う限りでは、『旅愁』(1937~46)の「読みかえ」の可能性の追求であるが、そうした企ての背景にあるのは、初期の新感覚派時代を経て、『上海』(1929~33)、「機械」(1930)という20世紀前半の日本文学を代表する小説を書き上げた作家が何故、その後半生を費やして『旅愁』のような(評者である私に言わせれば悲惨な)作品に行き着くことになったのか、というモチーフの存在と思われる。著者の歩んだ横光研究の道程が、時系列上は『歐州紀行』(1936~37)から始まって『旅愁』に至っている――ただそれだけの理由で、そう述べるのではない。数多ある横光作品から著者が本書で取り上げたのは――上述以外には、初期の「ナポレオンと田虫」(1926)から、1936年の欧州体験を契機として以後断続的に書き継がれた私小説風の諸短篇(横光を彷彿させる登場人物の名をとって「梶もの」と総称される)。および、「純粋小説論」(1935)に代表される、ポレミックな、というよりも、威勢はいいし着眼点も鋭いが論理的飛躍が多い、いわゆる「桂馬筋」と評される作家の思索を伝えるエッセイや座談会での発言。こうした多岐にわたるテクスト群を横断しながら、それらに共通して著者が眼を注ぐのは、主に次の3点である。

(1)<視覚優位>という、横光の文体に際立つ要素への着目。そこから浮かび上がるのは、それが彼の小説に限らず、彼の思考/嗜好の基調を成しているということである。そして、横光が、あたかも身をよじるようにして託宣を伝える神官のように、技巧の限りを尽くして描写する<現実>のさまざまな対象は、結果として、彼にとってつねに<相対化>された価値しか付与されない。

(2)このことは、その価値に信を置くそれぞれの主体が互いに相手に対して不信を抱き、そして、刀を返すように、自己自身に懐疑の切先を向ける、横光作品に特徴的な登場人物の心理の褶曲を説明する。と同時に、言語を介した自他のディスコミュニケーション状況それ自体が、彼の表現上の主題として前景化する。

(3)にもかかわらず、この現実世界の断絶を露わにしてやまない<相対化>の視線は、彼の共感に裏打ちされた相互理解による和解への憧憬――すなわち「『共同の一線』の発見」というモチーフに支えられている。このモチーフの痛切さのゆえに、イロニーという名の自己慰撫に陥ることから横光を厳しく遮断している。

このうち(1)については「映画的認識」という同時代の文化思潮に共通するモードを、いくつかの事例を挙げながら根拠づけるとともに、それが横光作品を読み解く上でのキーワードとして著者の論の全体を規定している。次に(2)では横光の、単に作家の生理的・性格的な水準では解消しきれない、「文学」という表現行為それ自体に関わる次元で読み解くべき一箇の主題であることが、いくつかの小説作品の場面を引きながら明示される。さらにその背後に隠顕する(3)のモチーフが『旅愁』において前景化されていったことが同著の執筆過程に即しながら指摘される。ここから(2)の、現実社会における他者とのコミュニケーション不全という現実認識と、にもかかわらず(3)における相互理解が可能な、理想としての人間関係の希求に引き裂かれた横光の、矛盾と自家撞着があからさまに露呈しているがゆえに、結果として、あるいは逆説的に、『旅愁』という作品を、「脱構築」的に読解しうるテクストとして救済する、という著者の企ての、その可能性の余地が生ずる。すなわち、横光の、価値相対化の視線があってはじめて可視化され、可視化されることではじめて相対化された価値が認められるという認識の二重構造と、関係性との断絶という、いまこの時代における固有の問題のフレームワークを構成するとされる諸要素――たとえば「他者」や「国家」や「言語」といった個のアイデンティティに絡んで付与される指標や価値判断――の無根拠性を、積極的に主題化し、「読みかえる」という企ての。

 

 もっとも、こうした捉え方は一面的に過ぎるかもしれない。事実、本書の後半の大部を占める第3部――声と文字の相補的関係と、その増幅装置としての役割を果たしたメディアの功罪を論じた第11章・第12章は、先行研究を踏まえつつ、前述の著者のモチーフを通奏低音として展開させることで学術論文としての完成度を高めた本書の白眉ともいうべき箇所である。ここでの著者は、実際に横光が生きた時代のメディア環境を史実に即して押さえながら、論の射程を拡げることで初めて見えてくる横光の作家的特性を視野に収めたという点で、良くも悪くも時代のジャーナリズムの寵児として振る舞うことを強いられた、(現在の視点からは見えにくい)横光の作家活動の一側面を浮き彫りにする。当たり前のことだが、文筆をなりわいとする人もまた、その実生活上の、山もあれば谷もあり、酸いも甘いも嚙み分ける必要があるのだ。このときに見せる著者の手さばきは、一流の料理人がふるう無駄のない刃物の動きのように見事というほかない。だがしかし、調理という行為が特定の職業に特権化されるものではなく、人が生きるうえで必須の営みであるように、文学という表現行為が、その行為がなされた瞬間においても、そして、その行為の結果が過去として、あとから「評価」する時代にあっても、それぞれの、〈いま―ここ〉における人間の生の「本質」と関わるがゆえにいまなお「学」として論ずるに値するとするならば、ここでの横光論は、その時代ではなく、この時代におけるアクチュアリティのある作家として横光を読む、という本書の野心的な意図とは、いささかすれ違っているように思われる。メディア環境や機器の技術進展上の、現在との相違といった表面的なレベルを度外視しても、である。論が横光の生きた時代という風景で描線が完結しすぎているのだ。では、著者の視線が捉えた横光文学という高峰は、従来と異なるパースペクティヴのもと、いかなる稜線を描くのか?

 

眼――それは小林秀雄の思わせぶりな批評が世に出されて以降、横光の、とりわけその初期作品を論じる際に多くの論者から、意識的にせよ無意識であるにせよ、取り扱われるキータームである。これを、本書において著者は、それを横光の作家としての経歴を追う過程において一貫して通底する「視線」の問題として敷衍する。だからたとえば、ロジックというよりはレトリックにすぎない小林の「玻璃の眼」や「膠質」を過剰に読み込むことから成立する著者の論理――第1章における、フィルムを通過することで世界を現像させる「光源」と「観客の視線」というダブル・イメージによるテクスト生成論は、スタティックな認識論では捉えられない横光のテクストが孕む運動性を照らし出すための著者の視角を明らかにするとともに、本書全体のフレームワークをなす。これを著者の恣意的な概念操作とは言うことはできない。横光作品全体を貫通する「対象化/相対化」が作品構成上の方法論であり、<現実―世界>認識であり、そして<見る/見られる>関係性において立ち現れる近代的な自意識と他者の問題に終生こだわり続けた横光の文学的主題が、彼の文体における「視覚優位」という特性を踏まえて展開されていることを考えるならば、著者の論述はきわめて説得的である。

これは、たとえば吉田健一による「先駆者」としての横光評価――「パリに行つてそこの現実をそこの現実として受け取るのは、それが東京のとは違つている筈だという前提だけで出来ることではない。現実とは我々と外界の交渉によって成立するものである、その現実を知るのには、眼は外にではなくて、絶えず我々自身に向けられていなければならない。それ故にそれは自意識の問題であり、近代の特徴をなしているものが自意識であるのと同じく現実の観念は近代に属している。横光利一はヨオロッパに最初に現れた日本の最初の近代人だった。……(略)彼は外国に旅行した興奮を抑えるので緊張した意識にパリの現実を映し、それと日本の現実の差までを意識するという仕事をしたのであつて、このことが彼の外遊を一つの歴史的な事件にしている」――を具体的にテキストで跡づけ論証する試みとなっているのと同時に、それをさらに一歩推し進めて、横光の遺した文学作品の現在性を根拠づける重要な指摘であると思われる。つまり、著者のいう9.01の「震災後文学」と「戦後文学」の相同性は、3.11以後の「人災後」の時代状況との関わりのなかで、きわめてアクチュアルなテクストとして横光を読む可能性を示唆する。なぜなら、良くも悪くも、前時代のあらゆる文化的・政治的空間が崩壊していく時代における先端のモードの体現者――モダニストの成れの果ての一人が横光であったからだ。そして彼こそが、荷風のように江戸という「過去」に逃避することも、小林多喜二のように「未来」の国家に亡命することもなく、ひたすら「現在」にこだわり続け、野垂れ死にした敗残の日本「文学の神様」だったからだ。

 

 しかしながら、こうした本書における美点は、いわば諸刃の剣でもある。確かに今この時における鋭い問題提起という「朝日に輝いた銃剣の波頭は空中に虹を撒いた」が、一人の狂人を載せた膨大な作家研究の平原はやがて「黒い地平線を造つて潮のやうに没落へとあふれていつた」ように。それは研究者の「宿命」かもしれない。だが私は一般論としての時間の腐蝕だけをいうのではない。それは、テクスト読解における論理的可能性として、テクストに未発の潜在的能力の発見であると同時に、未発に終わるしかなかった不能性の証でもあるからだ。このことは、たとえば著者の魅力的ではあるがいささか牽強付会とも思える論理展開や問題提起の強さに比しての根拠の弱さにも見てとれる。たとえば第1章――「戦争体験を経た記憶は、無時間的なものとして固着し、歴史的因果関係の内には残像としてのみ存在する。その為に森川義信への呼びかけは抽象化された『M』への呼びかけとなる。断ち切られた過去が一瞬の切断面をとどめているとすれば、『活字の置き換え』ごっことして貶められたものの記憶もまた蘇ってくるのである。だとすれば『M』とはモダニズムの謂いと受け止めても差し支えないようにこの詩(※鮎川信夫の「死んだ男」――引用者註)は読めるはずである」とは、レトリック偏重で議論が進められているきらいがある。また、第8章――「このように二項対立をずらし続けるのが「梶もの」であり、『旅愁』を補完するものである。横光は「厨房日記」から「微笑」まで時代と向き合いながら書き続けた。その意味では相対化の運動としての作品は、どこかへ回帰し、落ち着くものでもなかったのである」という結論には、著者は戦時下に書かれた横光の作品(とりわけ「梶もの」)をいわば「救済」しようとするのに急なあまり、横光の作品傾向のもう一つの柱である上述の(3)「『共同の一線』を発見」しようとする「統一の原理/普遍性への志向」をあまりに低く見積もりすぎではないか、という疑念が生ずる。とりわけ、続く第9章における『旅愁』の主人公・矢代の〈病〉を「近代空間に対するオルタナティヴなものへの違和ではなく、むしろ近代国家によって保障された空間から排除されるエグザイルへの不安ではなかったか」という弱い疑問形を忍ばせながら展開される推論の根拠が、「ディアスポラのイメージが『国境』と関わって描きこまれたとき、国民国家ナショナリズムのみではなく、故郷を喪失しさまようエグザイルの観念が『国境』を越えた旅に重ねあわされる」というイメージ操作にしか求められないのは、上の疑問を増幅させる。そしてこのことは、著者が本書の冒頭で宣言した課題――「『旅愁』の再評価なくして、新感覚派時代からの読み直しは出来ない」――の困難さを逆説的に浮き上がらせる。

 

なぜ『旅愁』再評価なのか?ここでいう評価/批判が徹頭徹尾ネガティヴなものであったとしても、なぜ論の対象とならざるをえないのか?――この疑問は、結局のところ、横光という作家個人によるものというよりは、〈いま―この〉時代をいかに乗り越えるかというモダニティの自己言及性の課題に直結する。それは第1章で著者自らが断じたように、すでに出来上がった「見取り図の根拠と土壌を問う」ことにほかならない。そのとき、研究対象としての横光は、ある一つの時代を生きた個人という枠を離れて、〈われ―われ〉の現実をいかに「相対化」し、その彼方にあるべきはずのひとつの普遍性を志向することは可能か、という本書の問題提起を担う対象としての地位を確立するであろうし、読者もまたそれを自分自身の課題として選ぶことを迫られる。

 

横光利一だけは、いくらか意識的に、薔薇の花を、機械のようにうつくしい、と考えていたようにみえる」――かつて花田清輝は横光を評して、いくつかの留保をつけながらも、戦前期に彼が果たした文学活動の特異性を指摘した。この花田が駆使するアフォリズム風の、絢爛たるイメージの喚起力に到底及ばないが、あえて横光と、彼が生きた時代に、この国で花開いたモダニズムの行き着いた風景を思うとき、以前、博物館の一隅にひっそりと置かれていた、あるひとつの砂礫の塊が心に浮かぶ。

「砂漠の薔薇」。それは、いまは一面の乾燥した砂漠で採取される珍奇な石で、その多くがあたかも花弁がひろがった植物のように見えるためにそのように命名された。成分的にはこれは水に溶けたミネラルが結晶化したものであることから、かつてはそこに水があった証拠としても扱われる。――そう、水は確かにあったのだ。だがしかし、その水はなぜ、どのように枯れてしまったのか? この問いを掘り下げる者だけが、純情可憐な「性格悲劇」でも哀れな「時代の犠牲者」でもない、一人の自立した表現者としての横光の、その苦闘の跡を見出すことができる。それゆえ、本書を通じて読者は、この「読む」という行為それ自体の緊張を覚える。それを感じとることができないならば、この時代に、この国で、横光を「読む」ことはできないのだ。その限りにおいて、読者は、本書のモチーフが次なる展開を遂げること――横光の遺した作品を読みかえ、そして、その可能性を問うこと――への期待を、著者に投げ返す権利をもつ。その時を待つ。

(2017年3月、和泉書院、4800円+「消費」税)

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黒田大河さんの著作『横光利一のその時代―モダニズム・メディア・戦争』は和泉書院のホームページから購入できます。

www.izumipb.co.jp

 

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書評 高橋新吉『ダダイストの睡眠』(松田正貴・編、共和国、二〇一七年)

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読みかえ研会員の本の紹介です。この書評は文学史を読みかえる・論集』第3号に収録されたものですが、ブログの仕様上、傍点など一部表記が反映できませんでした。興味のある方はぜひ『論集』第3号を、そして『ダダイストの睡眠』(共和国)を手に取ってみてください!

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書評 高橋新吉ダダイストの睡眠』(松田正貴・編、共和国、二〇一七年)

 

五億年先の遠い未来が、あなたの今日の動機であれ

 藤野良樹

 

 高橋新吉は日本で最初のダダイストとして誉れ高い。本書『ダダイストの睡眠』は「発狂詩人」高橋新吉の短篇小説を中心に纏められている。ここに収められた作品のほとんどは、関東大震災の後に発表され、大東亜戦争の前に出版されたものである。だが、年代順に並んでいるわけではない。短篇十二篇と詩作二篇、新吉についての新聞記事と略年譜、そして編者による三つの解説がモンタージュされる。本書の特徴はここにある。これにより読者は高橋新吉という「不気味な運動」のなかに投げ込まれる。そこで私たちはこの本に主体的に参加し、読み解かねばならなくなるのだ。ひとりの文学者の表現に本の構成自体で接近しようとする得がたい書物なのである。

 とはいえ、この謎めいた詩人の小説を何の案内もなしに読み進めていくことは些か困難に思われる。だが、恐れることはない。編者・松田正貴の周到かつ充実した解説文は、作家の足跡や時代状況を理解するにあたり読者にとって最良の導きとなるだろう。

 松田は新吉が終生抱きつづけた独特の言語観に着目することで、作家の核心と全体像を把握する。作品のなかに繰り返し描かれる作者の「言語に対する不信感」を読み取るのである。この観点から、ダダ、狂気、禅など新吉に纏わるすべて主題は捉えなおされる。すると、ダダは既存の「意味」を解体させる表現力として、禅は「言葉なき思想」、「何一つ語らない語り」という詩的言語の可能性として見出されることになる。そして、狂気という主題も、あらゆる価値転換の契機として現れる。新吉は、既存のものとは違う新しい言葉を、その語り口こそを求めて、この途方もない試みを実践しつづけたのである。

 言うまでもなく高橋新吉は日本のダダイズムを考えるうえで欠かすことのできない存在ではある。が、ダダイスト新吉というのはこの作家のひとつの側面にすぎない。松田も指摘するように「新吉にはさまざまな「顔」がある」のだから。しかし、「新吉の書く短篇小説は、今も昔も文壇からはほとんど見向きもされ」なかったという。なぜなら、「新吉が戦前に書いた短篇小説のいくつかは、いわゆる文芸誌に発表されたものではなく、『相対』『変態心理』『脳』といった性科学や精神医学の専門誌に投稿されたものだったからである」(「解説」、二三〇頁)。このアンソロジーダダイストの睡眠』は短篇小説に焦点をあてることで、新吉の別の相貌を浮かびあがらせる。小説を読まずしてこの詩人の総体を捉えることはできない。より強くいえば、高橋新吉は小説を起点として再評価されねばならない。本書は、小説から新吉の詩作を読みかえす必要を読者に迫るのだ。

 ここに纏められた小説群では、『ダダイスト新吉の詩』(一九二三年)に見られるようなダダに特有の破壊的な雰囲気や、既成の価値を転覆させようとする野心や悪意は影をひそめている。例えば、カリグラムやオノマトペの多用による視覚的、聴覚的表現はほとんど見当たらない。むしろ、ここで執拗に描かれているのは、不穏なまでの倦怠と虚しさである。

 

   

 私は満二十五と十ヵ月以上も此の世に生きている。此れから五十年以上も此の世に生きていたいのが私の欲望である。

 私はどんな事をして生きようか、私に出来る事は、めしを食う事と本を読む事と歩く事と、それからもう其の外には之と言ってないのである。(「桔梗」)

 

あるいは、

 

 私は三年間を狂人として牢の中に暮らして半年前にやっと檻禁を解かれ た。私は三十年の間を生きては来た。私はこれからまだ生きようとは思っている。めしを食おうとは思っている。だが三十年の過去を顧り返る事に依って、私は何をこの世にモタラスだろう。私は何を考えて、求めて、あえいで生きてきたものやら、全くわからん。(「悲しき習性」)

 

自身の「発狂」体験を題材にしたと思われるこれらの小説作品には、頻繁な人称の転換があり、唐突に逸脱する場面描写があり、脈絡の付け難いイメージの移りかわりがあり、小説とも精神病者の手記ともつかない、奇妙な散文体験に読者を誘う。それらはあえて引用しない。本書を直接あたってほしい。だが、引用した二つの小説のみならず、新吉は他の作品でも、虚しく無力な語り手を据えて筋らしき筋がない断片的な物語を展開するのである。語り手は不気味な状況にさらされて、疲弊し、どうしようもなく衰弱している。さらにいえば、小説のなかで描かれる人物は、狂人や物乞い、精神病者といった周縁を生きる者たちだ。本書に収録されたこれらの小説は戦前のものである。国家の言葉、戦争の言葉が溢れる現実である。まさに「極めて低俗な他人の言葉をホザク」(「悲しき習性」)ような人間が支配的な時代においては、正しいものの圧力によって、その基準から外れるものは正しくないものになり、異端とされ、排除される。いわば「狂気」という屑箱的属性に押し込められるのである。新吉はこのことを敏感に感じ取ったのだろう。だからこそ正統や権威を揺さぶる価値転倒の可能性を「狂気」にこそ見出したのではないか。いずれにせよ、この虚しさと無力さ、そして「狂気」という主題は、新吉自身の「狂気」と、震災を経て戦争へ向かっていく時代に偏在する「狂気」とそこに住まうひとびとの心情と響きあうものがある気がしてならない。

さらに、新吉は小説のなかで次のように語らせる。

 

私は人の使う言葉でもって、こんな事を書いているが、言わば人の拵えた言葉だ。私がこんな事を書くのも私が書くのじゃなくて、誰かが私に書かせているのだとしか思えない。私一個の力でもってやる仕事じゃない。(「悲しき習性」)

 

自らの情動を語る言葉が掴みきれない、言葉でそれを語りきれない苦しみがこの詩人を深く貫いている。自分を語る言葉がない。自分の絶望や不安を書ききる言葉がない。言葉が追いつかない。どれほど書きなおしても。しかし、だからこそ、書き続けなければならないのである。佐々木中も言うように、言語はつねに言語の外を含み、言語の外においてこそ言語として生成する(『夜戦と永遠』)。したがって、「書き表わそうにも到底文字や言葉では書き表わせないところのもの」(「桔梗」)であったとしても、言語で書かれ、語られなければならない。新しい文体、そして新しい言葉というのはそのような過程からしか生成されないのだから。とすれば、新吉はいわば既存の支配言語に抗う詩的言語とでも呼ぶべき書き‐方、語り‐口を意識的に模索していたからこそ、ダダや精神医学の言説を、そして禅を、自らの創作の方法論として取り込んだのだと考えることができる。これらの分野にかんして新吉に特別な知見や意匠があったとは思わない。おそらくそれは、直感的に選び取り、好き勝手に吸収し、独自に活用したのである。感情や感性を重視する性格は、小説のなかからも読み取れる。本書に収録された、転向を主題とする短篇小説「ヴィニイ」にはこうある。

 

Mは二十七歳である。彼はマルキシズムの正しさを理解したと同じ頭脳の明澄さで、今度は党の誤謬を説くのだ。然しながら鈴木は、Mが最初マルキシズムに走ったのも、Mの感情的なものが目立っていたと思うのであるがMが転向したのも感情が先で、理論は後から拵えたもののような気がするのであった。だからMは偽りではなく本当に転向しているのだ。人間は決して理論で動くものでなく感情の方が本質的であると思っている鈴木には、Mの口から洩れる言葉の響きや調子でその事がわかるのであった。(「ヴィニイ」)

 

人間は決して理論で動くものでなく感情の方が本質である――。おそらくこれが、高橋新吉のもっとも根元的な原則であり、確信なのだ。もちろんそれは、常に無謬であり続けるわけでは決してない。あるわけがない。松田の解説によれば、新吉は戦中、戦意高揚のための詩を書いてしまったという。「ダダと狂気をめぐる自らの言動が、きわめて自然な形で戦時下の戦意高揚詩へ流れ込んだ」(「解説」、二四七頁)。

 文学者の自己表現が、時代の「マクロな狂気」に飲み込まれてしまうメカニズムとその分析は、高橋新吉を再検討するうえで必ず問われねばならない問題だろう。ここでひとつ疑念が湧く。「誰かが私に書かせている」(「悲しき習性」)と言うが、はたして、新吉は自分以外の言葉を聴き取るために真剣に耳を澄ましたことがあるのだろうか。これは新吉だけの問題ではない。同時代のダダイストアナキストのほとんども同じ躓きを免れえなかったのだ。その源泉として遡ることができるだろう――大杉栄などのアナキスト、そして辻潤高橋新吉たちが多大な影響を受けたとされる――マックス・シュティルナーの「唯一者」の思想も、私にはひどく退屈なものに感じられる。誤解を恐れずに単純化して言えば、結局それは、「俺が一番偉い」と誇示するものでしかない。当時の日本の社会思想や前衛表現の根底には独我論的で実存主義的なものが拭いがたく存在している。なんとも男くさく、息苦しいものが。無論これは、「個」を抹殺していく時代状況への危機意識のなかから掴み出された思想であって、その切実さは疑うべくもない。だが、それは、万能の自己という自閉した幼稚な幻想に帰着する。結果、彼らは自己批判とそこから生まれるはずの絶え間ない自己変革の契機を失うことになったのである。誰とも取り替えのきかない「個」を絶対化することでは、かけがいのない他者への視座を得ることができないのだ。ここにこそ「マクロな狂気」が忍びこむのではないか。

 しかし、それでも。新吉の表現に「マクロな狂気」に飲み込まれていく側面があるとしたら、同時に「マクロな狂気」を穿つ側面も潜在しているはずである。なぜなら――

 

常に新たなる出発が為されなければならぬ。為されなければならぬと言うよりも、それは為されているのだ。凡てが固定してはいない。(「ヴィニイ」)

 

新吉は確かに過った。しかし、彼の詩的言語の実践は、固定された言語と均質化された語り口の拒絶であり、不変なるものに対して抗うものでもあったのだ。そう、すべては固定してはいない。だから、何度でも語りなおされ、書き続けられなければならない。この過程に終わりはない。それは強靭に反復され、変相され、創造されなければならないのだ。そしてそれは、どこかニーチェを思わせはしないか。ニーチェこそ、ヘーゲル主義的な終焉を拒絶する闘争の哲学者であり「発狂」の詩人ではなかったか。この点においてのみ、新吉の表現は、万人のための、そして誰のためでもない(『ツァラトゥストラかく語りき』)ものとして、われわれの前に立ちあらわれてくる。「凡てのものは穿き替えられ得る。変化は価値だ。価値はダダイストだ」(「ダガハジ断言 Is Dadaist」)。

 短篇「悲しき習性」では、この頃は何を書いているのだ、と問われ、「私は何も書けない」と答える場面が描かれる。だが、新吉は書き続けた。この孤独な魂は沈黙することはない。たとえ誰かの言葉であったとしても、自分自身に言葉を与え、それを読む者にまた別の言葉を与えるのだ。そうだ、中原中也が新吉に心酔した理由も、そこにかかっていたにちがいない。「恐らく深夜下宿の孤独における叫喚を、片仮名とアフォリズムの形で、紙上に放出したものを詩と称することだけが、新吉から学んだものであろう」(大岡昇平中原中也』)。新吉の言葉は中也を詩人に変えたのである。ある現代の詩人は「言葉を受け取ったあなたを詩人にするような言葉が詩である」(佐藤雄一)と詩を再定義している。その言葉に倣っていうならば、新吉は「あなたを詩人にする」詩人なのである。

 高橋新吉には、松田も本書解説の末尾で引用している「るす」という印象的な詩がある。「留守と言え/ここには誰も居らぬと言え/五億年経ったら帰ってくる」(「るす」)。この不穏な詩人の言葉を、われわれはどのように受けとめればいいのだろうか。さしあたり、私たちは次のように応えよう――「もっとも遠い未来こそが、君の今日の動機であれ」(『ツァラトゥストラかく語りき』)。五億年も待ち続けることが私たちの仕事ではない。人類が文字を発明してからたった五千年しか経っていないのだ。すべては固定してはいないのであり、常に新たなる出発が為されなければならないのであり、それはすでに為されているのである。今も。これからも。いかなる時も。だから、本を取り、読み、また筆を執るのだ。世界を変革するために。誰かと共に。高橋新吉の言葉は、いまだに私たちを触発する。

 

(二〇一七年八月、共和国、二六〇〇円+税)

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この書評が掲載されている『論集』第3号もインパクト出版会のホームページより購入できます。

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次回告知と合評会のお礼

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先日刊行された『文学史を読みかえる・論集』第3号の合評会が去る9月26日に行われ、無事終了しました。お集まりくださった皆さまお疲れ様でした。今回の参加者には遠方から久しぶり来られた方も。本当にありがとうございました。

「限りなく厳しく、しかも楽しく」。このような前提のもと、追悼文を除く4つの論文と2つの書評が検討されました。各文章につき30分という限られた時間ではありましたが、コメントのなかには忌憚のない批判や本質的な指摘もありーー仲間褒めや馴れ合いといったものとは遠く離れたーー合評会に相応しい緊張感のある時間がもてたのではないでしょうか。

討議での論点は多岐にわたり感想もさまざまでしたが、畢竟、問われたのは文学表現に向き合う姿勢そのものについてでした。とりわけ全執筆者に向けられた次のような総論は、重く受け止めなければなりません。

作品を徹底的に読み、作者と真剣に向き合うなかでしか、文学表現に肉薄する言葉と思考は生まれてこない。「読みかえる」という営為も自分が「読み手」であることから始まるのであり、その「原点」を忘れてはならないのだ。作家が心血をそそいで書いた表現に渡り合えるような力と覚悟を込めて、作品を読むべきであるーー。

こうした根元的な課題をつきつけられたことこそが、本合評の最大の意義であり成果だったと思います。後日、メンバーからの「このままでは終われぬ」との声もあり、今回得られた批判への応答や反撃は来るべき『論集』第4号で活かされると強く信じています。

 

その後、場所を変えての「討論」も夜遅くまで続き、継続的な共同作業の新たなはじまりとなる実りある一日でした。

 

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次回、研究会のお知らせです。

 

◆  日時:11月22日(日)13:00-17:00→※12時~17時(開始時間が早まりました。)

*次回は日曜日になります。ご注意ください。

◆  報告者: 黒田大河さん

◆  テキスト:永山則夫木橋』(立風書房1984年、河出文庫2014年)『捨て子ごっこ』(河出書房 1987年)

 

皆さま奮ってご参加ください。

 

また、「荒らし」対策として閉鎖していたコメント欄をこの度開放することにしました。関心分野を問わず、歴史や現実、そして虚構に思いを寄せるかたがたの参加を、こころより希っています。興味のある方はどうかお気軽にお声がけください。詳細をお伝えします。

会員でない方や初めての方、あるいは旧会員の方々も遠慮なくコメントいただければ幸いです。

 

『文学史を読みかえる・論集3』刊行しました!!!

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文学史を読みかえる研究会の『論集』の第3号がインパクト出版会から刊行されました。前号の出版からなんと6年も経過してしまいましたが、ようやく完成することができました。この6年間の研究会の活動と定例会の様子は梅原貞康さんによる「読みかえ日誌」に報告されています。ぜひご覧ください。

 

『論集』第3号の詳細は以下の通りです。

 

「本号は研究会発足から四半世紀を記念する号となった。伊藤整と左川ちか、花田清輝寺山修司永山則夫カズオ・イシグロ、その対象は様々だが、危機を内包した「この時代」を読みかえる目論見を持った論者たちが、回を重ねた研究会のささやかな成果である。/大方のご批正を求めるとともに、共同作業をともに継続することを呼びかけたい。」

(『文学史を読みかえる・論集』第3号、緒言より抜粋)

 

インパクト出版会のホームページより購入できます↓

http://impact-shuppankai.com/products/detail/299

 

目次
誰が何を語るのか
カズオ・イシグロ浮世の画家』 松田正貴  5

永山則夫
『反-寺山修司論』のプロブレマティーク 黒田大河 23

花田清輝の論理と修辞 柴田大輔 43

詩人の終焉
〈詩とのわかれ〉と伊藤整、「浪の響きのなかで」から『左川ちか詩集』(一九三六)へ 島田龍 67

◎書評
横光利一とその時代―モダニズム・メディア・戦争』―〝虚無〟にする供物のために(黒田大河著) 田村都  99
ダダイストの睡眠』―五億年先の遠い未来が、あなたの今日の動機であれ(松田正貴編) 藤野良樹 105

◎追悼 加納実紀代さんを送る 池田浩士 110
読みかえ日誌 112
執筆者プロフィル 117

 

 

 

※ また、『日本の少年小説「少国民」のゆくえ』
(相川美恵子編集・解説)に続く、「読みかえ研」のアンソロジー・シリーズ第2弾として『文学表現のなかの天皇』(仮題)の配本も予定されています。

研究会はこれからも継続して行なっていきますので、皆様、引き続きよろしくお願い致します。

 

文学史を読みかえる研究会の刊行物↓

http://impact-shuppankai.com/products/list?category_id=&name=%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%8F%B2%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B

島田龍報告「記憶と虚構の文学 2人の台湾系直木賞作家 (1)邱永漢、亡命作家から金儲けの神様へ」【例会報告と次回のお知らせ】

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2020年7月、関西にて「文学史を読みかえる」研究会の例会が行われました。

報告者は島田龍さんで、邱永漢「濁水渓」(1954)と陳舜臣「怒りの菩薩」(1962)をテクストに、「記憶と虚構の文学 2人の台湾系直木賞作家 (1)邱永漢、亡命作家から金儲けの神様へ」と題して邱永漢についての綿密な報告が行われました。2・28事件や民族アイデンティティを巡る考察に議論も白熱、充実した例会になりました。なお、もう一人の台湾系直木賞作家・陳舜臣については次回以降に報告予定とのことで、こちらも楽しみです。

今回の報告と討論の要旨は以下の通り。

 

――――――――――――――――

「記憶と虚構の文学 2人の台湾系直木賞作家 (1)邱永漢、亡命作家から金儲けの神様へ」と題し、邱永漢の小説「濁水渓」(1954)、「香港」(1955)をテクストに読み進めた。具体的には、日本統治下の台湾に育ち、台湾・香港・日本を日本語で書いた邱永漢とは何者かを、2・28事件(1947)と台湾人アイデンティティ文学賞の問題から考えてみた。

台南で1924年に生まれた邱永漢は東京帝大経済学部に進学後、日本の敗戦を経て帰台。47年に国民党政権が台湾人を虐殺した2・28事件を体験し、台湾独立運動に携わるも香港へ亡命した。54年の再来日を前に執筆開始、「濁水渓」が直木賞候補作、外国籍として初めて直木賞を「香港」で受賞したのが56年である。

「濁水渓」の主人公「私」は日本国籍を持つ台湾出身の東大生。日本の敗戦後、日本でも中国でもない民族と国境のない地に住みたいと願う「私」と、日本人の母と台湾人の父を持つ民族主義者劉徳明の物語である。ともに2・28事件に遭遇、台湾に留まり台湾人として殉じようとする劉と、海外へ逃れ「永遠に地球をさまようユダヤ人」のように「金銭の鬼」となることを望む「私」は訣別する。劉は邱が選ばなかったもう1つの生き方であり、引き裂かれた自己像を2人に仮託している。台湾人の記憶と意識の文学であった「濁水渓」は、単行本化に際し檀一雄が削除を促し、削除された第3部(香港篇)が存在する。

第3部の「私」は強烈な台湾人意識を取り戻し、第2の2・28事件ともいうべき台湾独立のためゲリラ戦から再出発する意志を固め締め括られる。民族も国家もない世界を望んだ第2部の決意が転換、外部から台湾の独立に再びコミットしようとの戦いの決意によってそれまでの作品の主題が混乱した点は否めない。

「濁水渓」の続き物として従来理解されてきた「香港」は、刹那的に生きる主人公の人物像が異なる。金こそが人間が生きていくための積極的な自由を担保することを知る。何をするのか、何のために生きていくかはその先にあるもので、自由とは厄介で孤独で残酷なものとして描かれる。「濁水渓」第2部までの主題とも第3部の変容とも異なり、食い詰めた若者たちの野心小説としての特長がある。自由の問題にこだわることが大衆文学として相応しいのか、フィクショナルなロマン性に乏しいとの審査員の指摘がありながら、「濁水渓」第3部の政治色を脱色改変した「香港」は念願の直木賞受賞を果たした。

一方で「濁水渓」から台湾人のアイデンティティ問題を後退させた「香港」が文壇で認められた背景には、和泉司が指摘したように、台湾問題から目をそらし帝国日本と台湾の記憶を忘却する日本社会の状況があったと考える。

自身や周囲の異常な体験を文学的貯金として費やすことで紡いだ邱の小説は、それだけでは審査員たちが懸念したように読者のニーズに応え続けるには限界があった。また小説以外にも台湾問題を日本人に訴えた邱の声は広く届くことはなかった。台湾人のアイデンティティの動揺を日本で日本人に向け日本語で書かざるを得なかった邱の文学は早々に行き詰まりをみせた。

50年代末以降、『金銭読本』を始めとする家庭向け経済評論、株・税制・不動産投資などいわゆる「金儲けの神様」と呼ばれる活動に移行する。この移行は確かに、文学的貯金を使い果たした創作上の限界と日本社会の記憶の忘却が背景にあったとはいえる。同時に金銭欲や食欲といった人間の欲望に応えた自己プロデュースであるとともに、単なるハウツウではなく国家・民族・血といった虚構を越境するために手にした確かな虚構であったように思う。

討論では、サブテクストの陳舜臣『怒りの菩薩』(1962)との比較も行った。「金儲けの神様」にシフトした邱に代わって60年代初めに登場した陳は2人目の台湾系直木賞作家となった。ともに同じ年に生まれた学歴エリートであり、現地で2・28事件を経験するなど共通点も多いが作家性は異なる。近年の2人の日台での受容・翻訳・研究状況を概観しながら、議論は各人の作家・作品観、アジアの問題意識と多岐に渡った。

後年、「台湾生まれのアジア人」として自己認識した邱は、日本人でもない中国人でもない台湾人であること、さらにその先の帰属することなき漂泊者であることを受け入れた。それは文学的・政治的挫折であろうか。ポスト植民地主義の亡命作家が選びとった〈自由〉ではなかったか。今後も邱の作品が忘れられるのではなく、積極的に読みかえられることを期待したい。

 ――――――――――――――――

 

削除された「濁水渓」第三部についての評価、また作家にとっての「文学賞」の重み、など討論での論点は多岐にわたりましたが、

いまだに流布され続けている「日本の植民地支配のなかでは台湾が一番“マシ”だったから、台湾では今でも“親日”的なのだ」という神話がまったくのでたらめであることは、2・28事件を題材とした邱永漢陳舜臣を読めば一目瞭然であり、日本語では50年代から小説に描かれていたのにもかかわらず、私たちの共通の認識にならなかったこと自体が問題の根深さをあらわしているのだ、という痛切な指摘は特に印象に残りました。

また、50年代以降の邱永漢が執拗に描いた金銭欲や食欲といった人間の「欲望」という主題は、国家や民族という虚構を越境するために邱永漢が手にした「虚構」であり、かれが辿り着いた文学的地平であるということが今回の報告で示されたのだが、だとすればそのような「金儲けの神様」としての実像や「欲望」の内実をこそ批評し問いなおす必要があるだろう、といった今後のさらなる発展を期待する指摘もありました。提起された課題は近い将来、島田さんの手によって果たされるでしょう。

 

【次回の研究会について】

次回は、『文学史を読みかえる・論集』第三号の合評会を予定しています。何事もなければ2020年9月に開催予定ですが、例会の詳細は現会員に直接問い合わせください。

近日刊行される『論集』第三号についてもこのブログでお知らせするつもりです。よろしくお願いします。

 

 

3月の研究会報告と次回テキスト

三月、関西にて「文学史を読みかえる」研究会の例会が行われました。

今回のテキストはアウグスティヌス『告白』で、報告と討論の要旨は以下の通り。

 

例会では、アウグスティヌス『告白』をテキストに、哲学史をおさらいしながらアウグスティヌスおよびキリストの思想的意義について検討されました。

 

ポリスが崩壊して以降、世界が帝国化して行き、個人の無力感が強まるにつれて哲学は積極的な政治意識を失い、苦しみあえぐ民衆から乖離していく。そうした哲学の堕落を尻目に登場したイエス・キリストは、貧しい虐げられた民衆にこそ語りかけ、救いを説いた。弱い者は自分がしたくもないことをさせられてしまう。強い者が自分の手を汚すことなく「律法に反すること」「すべきでないこと」を弱い者に押し付け、強制させるからである。しかし本来、律法とは弱い者のためにある。掟のために人があるのではない。(弱い)人のために掟があるのだ。金持ちが天国に行くことは「駱駝が針の穴を通る」よりも難しいとイエスは言う。当時のローマ帝国において「金持ち」とは戦争で略奪した者のことであり、弱者から搾取し収奪することで「富む者」になったのである。イエスは断固として「貧しき者」の側に立つ。イエスの言葉はローマ帝国の現実と真っ向から対立する思想であった。

アウグスティヌスキリスト教が制度化され、ローマ帝国が滅亡していく時代を生きた。彼は若い時からこの世界の理不尽さと自分の醜悪さに苦悩し続けた、「真面目に悩んだ普通の男」である。勉強に打ち込んでも悩みは晴れず、酒や色に溺れ、物を盗む……。『告白』では現代の私たちにとっても身近に感じられるような普遍的な悩みや誰もが持ち得る体験が語られる。そしてこの「普通の男」はこの世界はおかしいと疑い、実直に考え抜いた。

ーーこの世界が間違っていると疑えるということは、「間違っていない」もの、すなわち「善」ないしは「正義」という基準がなければ疑うことすらできないはずである。その正義の価値観は全能であり普遍的な神に基づくものであるから、まさに神が人間に「疑う」という能力を与えてくれたのだ。だから、疑えるということ自体が神の証明であり、希望そのものであるーー。

アウグスティヌスの深い内省はついに自己を食い破り、普遍的な「正義」「善」へと向かう。その地平においてアウグスティヌスは人びとに語りかけたのであり、彼の思考は現実批判としての政治思想へと深化する。自己や世界と向き合うなかで普遍的な価値を見出し、それを現実や他者へ向けて説いたのだ。だからこそ、アウグスティヌスの言葉と論理は、いまだに読む者の胸を打つのである。

いうまでもなく、現在の私たちも帝国のなかに生きている。だとしたら、貧しく、差別され、虐げられた人びとにこそ届く言葉を模索すべきであり、この現実を穿つ「正義」ーーそれを「正義」と名指すべきかはともかくとしてもーーの価値こそが問題となるのではないか。


討論では、主に『告白』後半部分の時間論と、この著作における「語り」の宛先の複数性について議論が交わされた。

まずは、時間論についての議論だが、アウグスティヌスは時間を三つに区別する。「過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在」(『告白』第11巻第21章)である。あるのはただ「現在」のみであり、過去と未来とは、次のように定義される。すなわち、過去についての現在とは「記憶」であり、未来についての現在とは「期待」である、と。

この区分を現代の私たちにひきつけて考えるならば、現在の政治(家)は、過去の「記憶」に民衆を縛りつけており、ひとびとから未来への「期待」を搾取しているのであって、生活者の「現在」を奪い続けていると言えるのではないか。

もう一つの論点は、『告白』の著者は誰に対して語りかけているのか、という問題についてであった。アウグスティヌスは三つの「語り」を駆使して『告白』を記述している。一つは神に対してであり、もう一つは自己内対話であり、最後の一つは聴取にむけての語りかけである。アウグスティヌスはこれらの語り口を意識的に使い分けており、自覚的に織り交ぜながら読者を引き込もうとしたのだろう。

また、報告者の報告は、哲学史の平板な歴史観に留まっており、哲学史なり文学史を「読みかえる」という観点が希薄であることも指摘された。

 

その後の懇親会では参加者の皆が、若い頃のアウグスティヌスのように大いに飲み、トマス・アクィナスやルターのように大いに喰らい、そしてソクラテスたちのように大いに語り合い、あっという間に夜は更けていきました。

 

 

【次回テキストについて】

次回テキストについてのお知らせです。例会の詳細は現会員に直接問い合わせください。

邱永漢「濁水渓」(1954)

陳舜臣「怒りの菩薩」(1962)

 

次回もよろしくお願いします。